【ねずみの目】社会科教師のニュースを読む視点、始めます

事実とは

あなたがニュースを読む(見る・聞く・読むひっくるめて「読む」といってしまいます)うえで、大切にしていることは何ですか?

何もない?それはまずい。

誰が言ったか?どの媒体から得たか?なるほど。大事ですね。それだけで判断するのは困りますが。

私ですか?自分で聞いといてなんですが、この質問に答えなんてありませんし、ひとつにしぼるものでもないと思いますが、あえてひとつ挙げるとしたら、「事実」と「評価」を区別することですかね。

ということでいきなりですが質問です。以下の文章の中で、「事実」はどの部分でしょう。

A市の2021年度の工業出荷額は4057億円ととても大きく、前年と比べても約100億円増加した。一方農業産出額は3000億円であり、有名な観光地もない同市は、工業が盛んな都市であると言える。

色々ちりばめるためにちょっと無理やりな文になりました・・・

さて、どうでしょうか。もちろんすべて架空の話なので事実なんて存在しないのですが、本当だと仮定して。

上の文章で「事実」の部分を書きだすと、

工業出荷額が4057億円

前年比約100億円増加

農業産出額3000億円

以上です。若干「増加」はグレーゾーンですが(その理由はすぐ説明します)、事実は事実ですね。これ以外は基本的に事実ではなく「評価」。言い換えれば、主観・感想です。

大きい

有名な観光地がない

工業が盛ん

(・増加

あたりですね。

例文なので簡単だったかと思いますが、「有名な観光地がない」や「工業が盛ん」あたりは迷った人もいるかもしれません。また、例文でなく実際にニュースなどで見聞きした場合、事実と評価を混同してしまう人は多いのではないかと思います。

簡単に説明しますと、「事実」とは誰が見ても変わらない部分「評価」とは人によって印象が変わる可能性のある部分のことです。100人いたとして、1人でも意見が違う可能性があれば、それは「評価」です。もっと言ってしまえば、「事実」とはほぼほぼ「数字」のことです。

例文で言いますと、4057億は誰が見ても4057億ですが、その額が大きいのかどうかは比較しなければ分かりませんし、比較したところで最終的には個人の感想となります(全国平均が4100億円だとして、平均より下だから「小さい」と言ってもいいし、誤差の範囲内だから「普通」と言ってもいいし、農業と比べて大きいから「大きい」でもいい)。

「有名な」とか「盛ん」も、何をもってそう言うかは人によって違うので「評価」です。その幅をなくすために「定義づけ」を行うのですが、その定義づけが万人に受け入れられるかどうかは別問題なので、その場合「条件付きの事実」と定義するのが良いのかもしれません。

なぜ「増加」がグレーゾーンなのかも説明しましょう。

増加とは数字の変化の推移を表す言葉なので、1でも数字が増えていれば「増加」であることに間違いはありません。ただ、4000億円から次の年4000億100円になったとしたら、これを「増加」と言いますか?「変わらない」と言いたいですよね。このように「増加」という言葉には「評価」も含まれてしまうのが普通です。なので、「〇〇円増加」のように数字とともに使われれば「事実」、それ以外ならば「評価」と判断するのが良いでしょう。

ニュースは「事実」こそが大事なの?

なぜこんな授業みたいなことをさせられているのだと思った人も増えてきたのではないでしょうか笑

事実とそれ以外を区別してもらったのは、それがニュースを読むうえで必要不可欠だからです。

ニュースといえば、平成中期まではテレビ・ラジオ・新聞によって知るものでした。ところが近年はYahooなどのポータルサイト、Twitter、YouTubeなど様々な情報源が生まれ、テレビも「マスゴミ」等と言われる始末。結果、何を信じていいか分からないという声が急増している印象です。

ひとつだけはっきり言えることは、この世に100%信じていいモノ・人など存在しない、ということですが、さすがに社会科教師の端くれとしてこのような状況を見過ごすわけにはいきませんので(とカッコつけましたが、ただ言いたいという自己欲求のためです)、どのようにニュースを読むかということを紹介しようと思います。その上であれて言いますと、私の意見も100%信じるということのないようお願いいたします。あくまで個人の見解です。

さて、このように何を信じてよいか分からない状況ですので、「ニュース(番組・記事など)は事実だけを言っていればいい」という言説をたまに聞きます。そのように言いたくなる気持ちは私にも分かります。が、ニュースにおいて重要なことは本当に事実だけなのでしょうか。私は違うと思います。

そもそも上のように言う人は、主にコメンテーターがいらないと思っているのでしょうが、アナウンサーが話す原稿は例文のようにすでに事実と評価が混ざり合っているのです。その評価も、(番組が選んだ)専門家の意見を参考に、番組側で行っているものです。つまり、読まれる原稿も、それに対してあーだこーだ言うコメンテーターも、本質的には何も変わらないということです。

となると、次のような結論に至る人も出てくるでしょう。

事実だけを報じないメディアには価値がない、と。

でもその結論は間違っています。少なくとも私はそう思います。その理由は主に2つ。

①事実だけには何の価値もない

②事実だけを報じるメディアなどそもそも存在しない。

①に関して。

先ほども言ったように、事実とはほぼ数字のことです。ということは事実だけを報じるニュースとはこういうことです。例えばテレビだったら、「つづいて○○のニュースです」のあと永遠に表やグラフを見せられ続ける。終わり。私だったらこう叫びます。「だから何⁉

専門家が説明してよと思いますよね?でもそれも「評価」です。推測です。その人が言ったことが正解とは限りません。だってニュースは「news」、つまり新しいことですから。しかもその人は何の専門家ですか?どの立場ですか?その人を出演させたのは誰ですか?

専門家批判っぽい流れになってますがそうではありません。事実だけのニュースなど何の価値もありません。「評価」あってのニュースです。

②に関して。

上ではさも「事実だけのニュース」をやろうと思えばできそうな感じで書きましたが、実際はそれも不可能です。なぜなら、「どの事実を報道するか」自体も主観(個人もしくは組織、評価といってもいい)なのですから。

ちなみにテレビ・新聞等いわゆるオールドメディアほどこの主観性が弱い(色々なニュースをまんべんなく報道)かわりに、主観性が見えにくく(取捨選択してる感が少ないor巧妙に隠されている)、インターネット・SNSほど主観性が強いかわりに見えやすいという特徴があります。広く(自分の主観性もできるだけ排除して)知るのにはオールドメディアが適していますが、主観性の見えにくさが「隠している!」という印象(だけじゃなく事実かもしれないが)を与え、主に若年層を中心に主観性がオープンなSNS系の方が信頼できるという人々の増加につながっているのだと思います。

本当は特徴を分かったうえで両方使うのがベストだと思いますけどね。

この章の結論としては、「事実」も「評価」もどちらもニュースには必要だよっていうことです。

どのようにニュースを読めばいいのか

「事実」と「評価」を区別する必要性はなんとなく分かってもらえたかと思いますが、じゃあ実際どのようにニュースを読めばいいのか。

結局最初に戻ります。答えはありません。しかし、

どういう立場(専門性・思想)の人が何(事実)をもとにどういう評価(見解)をしたか

ということについて考えながらニュースを読むのは大事なことだと思います。

そして当ブログとしては、どんな事実(と場合により専門家の評価)をもとにわたしはどんな評価を下したのかについて書くシリーズを始めようと思います。相変わらず色々「遅い」とは思いますが。

ということで、「ねずみの目」始めます!

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